プロフィール
コモンセンス
コモンセンスです。
奥新和歌の浦の情報をどんどん発信していきたいと思います!
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 30人
オーナーへメッセージ

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン



かつらぎ町

投稿日時 2009年08月21日 16:09Comments(0)
帯庄酒造に行ってきました。
取り敢えずは門

東門ですが大正の頃の築造か?
西暦1780年からの歴史があり
スヰートピー(粋人日)という粋なネーミングの
お酒も有ったそう(飲んだ人は無いでしょうが?)
鶴の瀧という有名な酒を造っていました。
230年もの歴史を誇った酒蔵ですが
今は閉じていますので廃墟となりつつあります。
内部の写真や建物も撮影してきましたので
少しずつ発表する価値はあるかな~~ik_19

帯庄酒造

投稿日時 2009年08月20日 17:58Comments(0)
明日、かつらぎ町旧帯庄酒造を訪問します。
新和歌浦開発の祖「森田庄兵衛」の生家で
可なり古く一昨年訪れたときには

こんな感じ。まだそのまま残っているか楽しみ。
珍しい写真を撮ってきますので乞うご期待おばik_71

これかな

投稿日時 2009年08月20日 00:23Comments(0)

辻本さんに花束贈呈の衣装が
印象に残っていましたが?
ビデオ楽しみにface02

某介護施設の

投稿日時 2009年08月19日 21:24Comments(0)
海のデイサービスに参加しました。
マリーナ内のホテルでの開催で天気も良く
皆さん大満足で

中学1年生の日舞に大喝采ik_72
美味しい料理と箏演奏などのイベントに満足な
午後を楽しんで頂きました。
9月もイベント色々します。23日の夕日を見る会
のイベントもブロガー淳平さんグループの演奏と
番所庭園での2箇所開催で楽しんで頂きます。

こんな感じですface05

水軒堤防遺跡

投稿日時 2009年08月18日 09:02Comments(0)

木工団地・金属団地は埋立地です。

逆S字の防風林の地中に初代紀州藩主徳川頼宣に命じられた朝比奈段右衛門(後に隠居冷水軒)は13年をかけて築造しました。(水軒、水軒浜といわれる由縁)規模は高さ3~6間(5~10m)長さ900間(1.6km)にも及びます。全国にも例を見ない高い技術力でつくられた防潮防波堤で1707年の宝永南海地震(1707)安政南海地震(1854)南海地震(1946)の大地震にも耐えて地下に存続しています。

山田猪三郎?

投稿日時 2009年08月17日 11:53Comments(0)

萬波から高津子山に向かう途中に高さ4mの
青石(緑泥片岩)の石碑があります。
上部には楕円形の気球が描かれています。
1910年(明治43年)に独自で気球を開発、製作し
陸軍に納入した偉人。和歌山県人であったことから
ここに建立されたのか?と思います。
長さ30m、直径9m、エンジンは8馬力の自動車用
だったらしいです。

和歌山産業遺跡リスト

投稿日時 2009年08月16日 12:01Comments(13)
面白いサイトを発見しました
http://kuromax.web.fc2.com/ruin/wakayama/index.htm

今は撤去されましたが、かつてはブームだった
宇宙回転風呂があった廃屋旅館です。
そのほか岡徳楼などの画像もありました。
管理され存続しているものや撤去されて
しまった施設などおもろいですik_83

和歌浦のまちづくり

投稿日時 2009年08月15日 21:07Comments(2)
和歌浦にまちづくり塾が有ります。

まず看板は昔の魯(舟のエンジン魯こぎろ)を蔵から見つけ看板にしました。同じく和歌浦湾にあるレストラン「からびな」の看板も書き人「吉川知粧さん」に書いて貰いました。
建物は80数年経っていますがまだ現役です。家主は宝塚在住で月に一度しか帰って来ませんが郷愁に駆られてまちかど博物館や子育て世代に開放して若いお母様方の情報交換と憩いの場に開放していいます。

月見堂

投稿日時 2009年08月15日 13:03Comments(4)

絵葉書ですが右から左書きで
仙集館後庭月見堂と書いています。
100年前にはこの場所で芸者を挙げて
宴会をしたそうですik_10
海をご馳走に月を見ながら・・・。
昔人は情緒が有ったのでしょう。

和歌浦湾

投稿日時 2009年08月14日 16:59Comments(0)
今日、真夏の快晴icon01
気持ちよさそうにヨットが・・・・。
タイミングよく母上は眼科で医大へ入院中。
手術前なので昨晩の花火もFMバナナを
イヤフォーンで聴きながら楽しんだとか

静養と涼しいお盆を堪能しているらしいface02

雨乞い?

投稿日時 2009年08月14日 11:12Comments(0)

海に向かっての雨乞いでは有りませんik_40
夕日を見る会のイメージ写真(昨年秋)

女性には

投稿日時 2009年08月13日 21:09Comments(0)
ごめんなさい男組み作ります。
箏演奏は女性のものと思われてました(私も同じく)
和歌山発信の箏・男組10人衆を結成します。

3ヶ月で演奏できるように特訓します。12月にはその成果を発表するコンサートを行います。講師は田口眞澄師範。もちろん箏の貸し出しや特訓費用は無料です。いこらブログ登録の年齢層は??ですが、習い事を楽しくやってみませんかik_19

妹背山

投稿日時 2009年08月13日 18:11Comments(2)
妹背山と三断橋

干潟と妹背山、和歌公園としての片男波は
和歌にも謳われる歴史的景観です。来春には玉津島山(奠供山、雲蓋山)など一帯が国指定の名勝史跡
に指定する準備が進められています。楽しみ~~ik_72

雑賀崎の歴史

投稿日時 2009年08月13日 10:35Comments(2)

室町時代に、大阪、泉南の漁師が網漁業にきて、西の山の下のほうに家を2軒建てて、はじめて人が住むように成りました。その辺は、風当たりが少なくて家が波に流される心配の無い海岸であったからでしょう。だんだん人口がふえてくると東の方まで家が建ちました。江戸時代までは、村の中央部に畑や水田があったといわれます。江戸時代からは、一本釣りで遠くの海まで魚を釣りに行きました。田や畑の仕事は女の人だけでしました。田の浦までたんぼを作りに行った人もあったそうです。
山の上野もとの学校のあとあたりを城の内・どんべ(土塀)と呼びますが、戦国時代に雑賀党の見張り場があったからです。また、番所というのは、江戸時代の終わり頃、外国船などのあやしい船が通るのを見張るための番所のあとです。


観光遊歩道

投稿日時 2009年08月12日 21:36Comments(0)
観光協会HPには
和歌の浦から雑賀崎に至る海岸沿いに遊歩道が整備されています。
長さは2.5kmと、散策するには、ちょうど手頃な長さではないでしょうか。
 この辺りは、瀬戸内海国立公園の一角にあたり、全国観光地百選海岸、島の部に入選した景勝地です。磯づたいの海上散策路ですから、魚釣り、海水浴、磯遊びなどに利用されています

と案内していました。ところが車などで行くとまた帰らなくては成らないので往復5キロになってキツイです。
観光遊歩道の入口から出口までは1キロもありません。入口Aはまず田ノ浦

ボイコットするようにロープが張られていました。
和歌浦から入れば入口B

来訪者の放置ごみが。ホスピタリィ精神が先かマナーUPが先か?卵と鶏の議論になるかも・・・・・?

夢の鐘

投稿日時 2009年08月12日 15:22Comments(13)
観光遊歩道に夢の鐘があります。鳴らすと夢が叶うとか??????????
そのすぐ横には悪夢の館がik_84早くなくなれば良いけどその夢はなかなか叶いません
(((゜д゜;)))

波乗りさん

投稿日時 2009年08月11日 20:26Comments(6)
リクエストにお答えして

2連荘です。

仙集館

投稿日時 2009年08月11日 14:20Comments(0)
新和歌浦全盛期の景観

仙集館森田庄兵衛が興した観光開発のひとつです。その左手に月見堂。海辺には水族館が。写真では解りにくいのですが蓬莱岩も今のようには痩せていませんので侵食穴も小さく見えます。岡徳楼なども木造でした。今や廃屋です。

水族館Ⅱ

投稿日時 2009年08月11日 11:07Comments(0)
大正から昭和にかけて

現在は萬波が建っているところ。
水族館への進入スロープが架かって
います。現在も柱脚のレンガの残骸が
残っています。白いビルが南海遊園食堂。
月見堂も建てられていました。
手前に伸びている道路は田ノ浦まで
伸びるはずでしたが途中で頓挫しました。

移動しましたⅡ

投稿日時 2009年08月10日 10:00Comments(0)
曳き家した雲山万化荘の大正当時の写真です。

庭園も当時は素晴らしかったそうですが
工事によって少し壊されたようです。